安芸毛利一族 - 河合正治

河合正治 安芸毛利一族

Add: ajupa14 - Date: 2020-11-24 21:45:50 - Views: 9489 - Clicks: 5193

安芸毛利一族 - 河合正治 - 本の購入は楽天ブックスで。全品送料無料!購入毎に「楽天ポイント」が貯まってお得!みんなのレビュー・感想も満載。. とりあえず、河合正治氏『安芸 毛利一族』を読み直してみる。宝治合戦で敗死した毛利季光とその子孫の動向について具体的に述べてあった。ところが、毛利家文書をみるとほとんど史料がないことを認識させられた。. 毛利氏のルーツをさぐると、たどり着くのは鎌倉幕府創業の功巨・大江広元です。 彼は最初は紀伝道という学問を家業としており、朝廷の文官として仕えていましたが、のちにその能力を買われて源頼朝の右筆となり、さらに政所別当として頼朝の政治を補佐するまでに出世したといいます。 その功績から肥後国山本荘(熊本県鹿本郡植木町)、伊勢国栗真荘(三重県鈴鹿市)、相模国毛利荘(神奈川県厚木市)、周防国島末荘(山口県大島郡東和町)などの領地をもらい受け、広元はそれらを子に分け与えました。.

河合 正治『安芸毛利一族』のネタバレありの感想・レビュー一覧です。. あくまでも毛利の一家臣としての位置づけとは思われますが、使僧が大名の仲間入りをするというのは異例のことでした。こうして大名として働く一方で、僧侶としてもしっかり働いていました。毛利の家臣として動くかたわら、同時に東福寺の住持も兼ねていたのです。 この後も毛利の家臣ではありましたが、どちらかというと豊臣に近い存在。ほとんど秀吉の側近として行動するようになります。天正14(1586)年の九州征伐においては6万石に加増されています。以降も安芸安国寺に1万1500石の知行が与えられるなど、秀吉から厚遇を受けました。. ・新人物往来社 安芸・若狭 武田一族 高野賢彦著 ・新人物往来社 真田一族 小林計一郎著 ・新人物往来社 房総 里見一族(増補改訂版) 川名登著 ・新人物往来社 安芸 毛利一族 河合正治著. 『安芸毛利一族 (読みなおす日本史)』や『安国寺恵瓊 (人物叢書)』や『足利義政と東山文化 (読みなおす日本史)』など河合正治の全13作品から、ブクログユーザおすすめの作品がチェックできます。. 天正元(1573)年7月8日、将軍・足利義昭は信長に京を追放されました。このとき義昭が頼ったのが吉川元春でした。義昭としては毛利に援軍を送ってもらい、京で再起を図りたかったのでしょう。しかし、毛利としては義昭を匿って信長と戦いになることは避けたかった。そこで、毛利は恵瓊を調停工作の使者として送り出します。 上京して会談に参加した際、恵瓊は信長側の使僧と交渉していますが、信長本人と対面する機会があったかどうかは定かではありません。ただ、この上京の折に羽柴秀吉とは対面を果たしています。恵瓊は交渉の経過を文書として報告しているのですが、その中に信長と秀吉について書かれた条があり、これが「恵瓊が本能寺の変を予言した」といわれるゆえんです。 内容はこうです。 「信長之代、五年、三年は持たるべく候。左候て後、高ころびに、あふのけに、ころばれ候づると見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候」 (『吉川家文書』所収、天正元(1573)年12月12日付、山県越前守他一名宛、「安国恵瓊書状」より) つまり、恵瓊の印象では信長の時代はあと5年程度しか続かないだろう、というのです。 「高ころびにあふのけに」というのはかなり印象的な表現。信長はあっという間に転落してしまうだろう、と言っているのです。それに対し、「藤吉郎」すなわち秀吉はなかなかの人物である、と評しています。 実際の本能寺の変はここから9年後なので、ピッタリ予言を的中させたとはいえませんが、恵瓊は織田家中が一枚岩ではなく、危ういことを見越していたのかもしれません。そして、秀吉がその後信長に代わって天下を取る(とはいわないまでも、大物になる)ことを予想していた、とされています。. 河合 正治『安芸毛利一族』の感想・レビュー一覧です。ネタバレを含む感想・レビューは、ネタバレフィルターがあるので安心。読書メーターに投稿された約2件 の感想・レビューで本の評判を確認、読書記録を管理することもできます。. Pontaポイント使えます! | 安芸毛利一族 読みなおす日本史 | 河合正治 | 発売国:日本 | 書籍 || HMV&BOOKS online 支払い方法、配送方法もいろいろ選べ、非常に便利です!.

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3 税込&92;2,640 在庫僅少 3. 神道大系編纂会 1987. 河合正治 『安芸毛利一族』 新人物往来社、 1984年11月 。isbnx。 ncid bn01455089。oclc。全国書誌番号:85019269。 國司由行 「國司家に伝わる元就公からの感状」『「毛利一族」のすべて』 新人物往来社編、新人物往来社〈別冊歴史読本 安芸毛利一族 (読みなおす日本史) 著者 河合 正治 (著) 尼子・大内を滅ぼし、戦国の中国地方に覇を唱えた毛利氏。その姓を初めて名乗った鎌倉期から、関ケ原合戦にいたる一族の歴史を辿る。一代の英雄元就が厳島合戦で見せた作戦や、一族結. 同年は足利尊氏が挙兵して建武の新政が崩壊し、南北朝時代がはじまった年でもありました。 南北朝の動乱では、時親と元春は北朝の足利尊氏方に味方しましたが、貞親と親衡は南朝方として戦っています。毛利家は時親からの親・子・孫・曾孫の四代が敵味方に分かれてしまうのです。 ただしこのときは時親が毛利家の生き残りのために、危険を分散したという見方もあるようです。実際、親衡は元春の口添えにより、暦応3(興国元、1340)年に味方に戻ってきています。 翌暦応4(興国2、1341)年には時親が没し、元春が吉田荘支配を引き継いでいますが、その後観応元(正平5、1350)年の観応の擾乱が勃発すると、再び父子が敵対関係に。 親衡は反幕府方の足利直義派(直冬派)として活動し、この乱を機に尊氏と徹底して対立・抗争を繰り広げていった足利直冬の援助を得て、安芸武田氏を敗走させるなど、しばらくは力を振るいました。 しかし、足利直冬勢力の衰退とともに力を失うと、今度は一環して北朝方(室町幕府方)に味方していた元春が台頭。幕府に接近した元春は建徳2(応安4、1371)年には九州探題の今川了俊に従って九州へ下向しています。 反幕府という父の汚名を拭い去るためなのでしょうか. 安芸毛利一族 (読みなおす日本史) 河合正治/吉川弘文館 /11出版 279p 19cm ISBN:NDC:288. 時広(二男):長井氏を称す。 3. 親広(長男):源通親の猶子となる。 2.

西軍について敗れた毛利でしたが、広家の必死の交渉によりなんとか首の皮一枚つながりました。大幅に減封のうえ転封という、当初の約束からは程遠い結果になったものの、毛利宗家は存続できたのです。 が、恵瓊までは守られませんでした。敗れた恵瓊は関ケ原の戦いからおよそ一週間後の9月23日に捕らえられます。家康には自害を勧められましたが、恵瓊は処刑されることを選んだといいます。 10月1日、西軍首脳の石田三成、小西行長らとともに大坂や京の町で引き回され最後は京都六条河原で処刑されて果てました。 信長が討たれることを予言したという恵瓊は先見の明があるといわれましたが、それならばなぜ西軍の大敗は見抜けなかったのでしょうか。秀吉のカリスマ性にほれ込み、豊臣によほどの思い入れがあったのか。恵瓊は広家が反対した時点で、すでに西軍に不利だと悟っていたのではないでしょうか。それでも豊臣を捨てきれず、秀吉への恩に報いたい気持ちが勝ったのかもしれません。. 三卿伝編纂所編『毛利元就卿伝 上』(1944・六盟館) 河合正治著『安芸毛利一族』(1984・新人物往来社) 同編『毛利元就のすべて』(1996・新人物往来社). 河合 正治: 海賊の系譜: 上田 正昭, 河合 正治: 小早川氏の氏寺について: 河合 正治: 西国の経済発展と海賊衆: 河合 正治: 中世武家社会の道徳: 河合 正治: 中世武士団の氏神氏寺: 河合 正治: 東山文化と武士階層: 河合 正治. 応仁元(1467)年からはじまった日本最大の内乱といわれる応仁の乱が勃発するとさらに惣領家の所領が広がっていきます。 当時の当主・豊元は西軍の山名方に味方して多くの戦功を立てると、新たな所領を与えられ、急速に勢力拡大していきました。事実、文明7〈1475)年には嫡男の弘元(毛利元就の父)に所領を譲っていることが史料で確認できますが、煕元の頃に比べて所領がかなり増えているのがうかがえます。 なお、弘元の「弘」は大内政弘から一字を譲り受けたものであるため、この頃に毛利氏は大内氏の傘下に入ったとみられます。 このように毛利氏は、「南北朝の内乱 → 安芸国人一揆 → 応仁の乱」を経て、安芸の国人領主として成長。弘元の子である興元や元就が誕生するころには、毛利惣領家は庶家を従えるほどの権力をもつようになっていたのです。. 3 神道大系 / 神道大系編纂会編 神社編 40. 商品について染みあり・本商品は店頭と併売になっており、入札以前に商品が販売されてしまう可能性が御座います状態ランクについてこの商品の状態ランクは、B 中古品としては一般的な状態の商品です。当店の状態ランクの意味は、初めての方へ、をご確認ください。送料全国一律200円です. 「安芸毛利一族」河合正治著 吉川弘文館刊を読み終えた。 私は山口県厚狭の生まれなので藩政時代は毛利氏の治世下であり、更に厚狭地域は厚狭毛利家と言われる毛利元就八男元康を家祖とする毛利一門家の知行地であったことから、今まで自分の郷里に対する興味から沢山の毛利家に関する.

美術人名辞典 - 毛利元就の用語解説 - 室町後期の武将。郡山城主。安芸生。弘元の次男。幼名は松寿丸、少輔次郎と号する。一族の結束を強調し、隆元・元春・隆景の三子に残した教訓状は、のちに「三矢の訓」として世に喧伝された。連歌や和歌も能くした。元亀2年(1571)歿、75才。. 安芸毛利一族 / 出版社 吉川弘文館 著者 河合正治ならYahoo! 忠成(五男):海東氏を称す。 季光は出家していましたが、承久3(1221)年の承久の乱で幕府方として功をあげると、以後は御家人として活躍。天福元(1233)年には評定衆に任命されるまでになっています。 しかし、やがて一族滅亡の危機が訪れます。 季光は有力御家人である三浦泰村の妹を妻としていましたが、宝治元(1247)年にはその三浦泰村と執権の北条氏による対立から宝治合戦と呼ばれる幕府内乱が勃発。季光は縁戚関係から当然のごとく三浦氏に加担しますが、合戦に敗北したため、最期は広光(嫡男)・光正(二男)・泰光(三男)とともに自害して果てたのです。 しかし、たまたま四男の経光は所領の越後国佐橋荘にいて合戦に参加しなかったことが幸いしました。結果的に毛利荘は没収されたものの、佐橋荘および安芸国吉田荘の地頭職は安堵され、経光自身にもお咎めはなかったようです。 このように毛利一族はかろうじて滅亡を免れたのでした。なお、毛利氏が越後国佐橋荘と安芸国吉田荘を与えられた時期や経緯ははっきりしていません。. 備中 高松城の戦いでの和睦交渉. その前後で河合正治氏『安芸 毛利一族』が所在不明であり、河合氏は一揆についてどう考えていたかが確認できていなかったが、ようやく部屋の整理をしていて発見したので、簡単に述べておく。.

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Amazonで河合 正治の安芸毛利一族 (読みなおす日本史)。アマゾンならポイント還元本が多数。河合 正治作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。. 「毛利家文書」「桂家文書」「吉川家文書」 「毛利元就卿伝」三卿伝編纂所編、渡辺世祐監修 「戦国時代の伯耆地方における戦乱史」岡本吉彦著 「安芸 毛利一族」河合正治著、新人物往来社 「毛利元就と地域社会」岸田浩之編、中国新聞社. 『安国寺恵瓊 (人物叢書)』(河合正治) のみんなのレビュー・感想ページです(1レビュー)。.

アキ モウリ イチゾク. 河合正治 『安芸毛利一族』 新人物往来社、1984年11月。isbnx。 ncid bn01455089。 oclc。全国書誌番号:。 國司由行「國司家に伝わる元就公からの感状」『「毛利一族」のすべて』新人物往来社編、新人物往来社〈別冊歴史読本, 92. このうち、広元の四男・季光(すえみつ)は相模国毛利荘(もりのしょう)に居住してその地名を名字としました。これが毛利氏のはじまりです。 なお、季光のほか、広元の男児らは以下のようにそれぞれが家を興しています。 1. See full list on sengoku-his. 新人物往来社, 1984.

。恵瓊としては毛利の存続を危惧しての行動であり、毛利に背く気持ちはなかったと思われます。. 南朝方の一族を敵に回して勝ち残った元春は、九州探題・今川了俊に従って、九州へ下向して北朝方として戦いを繰り広げることとなる。 一方、敵対関係にあった父・親衡が、九州の南朝方勢力、 周防国 の 大内弘世 などと結んで、九州出陣中の元春の. 政広(三男):那波氏を称す。 4. 難を逃れた経光は越後国佐橋庄を南条と北条の2つに分割して、文永7(1270)年には嫡男基親に北条を、四男の時親に南条と安芸国吉田庄を譲渡したといいます。 ただし、惣領家である嫡男・基親の越後毛利氏は南北朝期に入って断絶し、時親の子孫が北条も支配するようになります。そして毛利元就の家系につながったのは四男・時親の方でした。彼は六波羅評定衆に就き、京都在住のための財源として河内国加賀田郷(大阪府河内長野市)を与えられています。 やがて14世紀に入って鎌倉幕府が滅亡し、建武の新政(1333-36年)を経て南北朝時代に突入していきます。 時親は嫡男の貞親に河内国加賀田郷を、三男広顕・孫の親衡と家親(二男親元の子)に越後国南条荘を分け与えると、延元元(1336)年には、曾孫の元春に家督を譲り、共に吉田荘吉田郷山田村(広島県甲田町上小原)に移り住みます。 また、元春の母方の祖父が安芸国土着の領主であったことから援助も受けたといいます。ここから毛利氏は安芸国に定住することになったのです。.

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